植物との対話
余裕がないとものが目に入らない。
3年前に転居する前に住んでいた自治会で重ための役員をしていた。
世帯数も多く、役員も多い自治会だったため、
初めての重責で、仕事内容がただでさえ大変だったのに加え、
全く自治会活動を行なってこなかったので、かなり空回りもしたと思う。
そしてやっと毎日が遅れている、余裕がない生活になった。
元々植物は好きだった。
だけど余裕がないと目がいかない。
かなり前にコストコに行ったとき、モンステラ(観葉植物)と目があってしまい、
お迎えした。
最初せっせとお世話して、大きく豊かに成長したので株分けした。
2鉢になったので一階、二階に1鉢ずつ置いた。
その後上記の生活に一変し、2階のモンステラはほぼほったらかしにされた。
振り返ってみて二階へ水をあげに行くほどの余裕がなかったかといえば、そうでない。
見て見ぬふりをしたり、実際全然意識外だったという、私のだらしのないところの犠牲になったのが正しい。(ちなみに一階のモンステラはちゃんとお世話していた)
ところが、モンステラというのは本当に健気に丈夫で、
ふと気がついた時に慌てて水をあげるだけでも、枯れずにいた。
要するにとても「良い子」だった。
ただ、葉に艶が無かったし、やっと生きていたとわかるくらいやつれていた。
身を持って良い子が辛さを表に出していたのに、という扱いをしてしまった。
そこから今のこの有秋台に引っ越してきて、家に連れてきたのはその放置したモンステラだった。
まず、思い切って剪定し、葉先が傷んだものは切り落とした。
そして最適な場所を選んで置いた。
毎日様子を見て、過保護にするでも放任するでもなく、適度にお世話した。
すると、半年足らずでその変化はすぐに現れた。
葉の艶は戻り、新しい葉が芽吹き、物を言わないそれが「幸せです」と言ってくれてるように見える。それが嬉しいとともに、ああ、なんて申し訳ないことをしていたのだろう、と思わずにいられなかった。
同じことを動物にすれば、動物虐待になるし、
それ以前にもっと辛さを訴え、主張する力を持っているから、
こちらの方がいい加減気がつくだろう。
あーあー、枯れちゃった、で済んでしまうのかもしれない。
あのタイミングで枯らしてしまったら、そこまで気にやまず、仕方ないとだけおもったかも。
だけど、よく見ていれば、やはり幸せになりたい、幸せです、と
意思を放っている、つまりは生きているのだ。
再生したそれは、放置した私に、生きている喜びを伝えて。
それが後悔の念を生んだ。
植物に対しての考え方が少し変わった。
そんなときに、ネットで見た投稿に目がさめるような想いになった。
私は、モンステラの再生で気を良くして、
また気まぐれに100均で売っていた小さな観葉植物を買った。
呑気に「植物っていいな〜」くらいの気持ちで。
育て方を検索してみた。
同じような人がいて、その方はとりあえず家にあるコレコレって土に埋めたけど、
それで大丈夫ですか?という質問をしていた。
その答えとして、植物をよくご存知の方が回答していた。
「その土ではいずれ枯れます。
その植物は湿気が苦手で、乾燥には強い。
水捌けの良い土に植え替えることをお勧めします。
動物を飼うときに、世話の仕方を調べたり、環境を整えたり、
健康に生きていかれるように予め考えたりしませんか?
植物も同じように、育てるのであれば責任を持って迎えるべきだと思います。」
聞いてみれば当たり前の正論だ。
でもその常識は持っていなかった。
私が今まで枯らしたり、無碍に扱った植物さん、ごめんなさい。
心にきざもう、そう思った。
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